私と「釣りキチ三平」との出会いは今から、30年、いや、それ以上前に遡る。
当時2年間だけ京都に住んでいて、小6~中1だった私は、父親と淡水釣り三昧の週末
(といっても当時は日曜だけ休みだったかな?)
を過ごしていたのだが、ある日、同じく京都に住んでいた従兄弟のMから、
釣りキチ三平のコンプリート途中wのセットをもらったのである。
果たして、それが何巻まで揃っていたのか、そんなことは思い出しっこないと思っていたが、
amazonで表紙を順番に見ていくと、実に記憶が鮮明に蘇ってきて、
私が持っていたのが、この43巻までだった、ということがハッキリした。
しかし、私が今回最終巻を手に取ったのは、43巻以降を順番に読んだわけでもなく、
元はと言えば、メルカリで釣りキチ三平の全巻セットが売られているのを眺めていて、
40,000円ほどの出費を妄想していたら、ふとamazonで最終巻の単体売り(kindle)が目に留まり、
意を決して(←大袈裟かw)ポチったという経緯である。
ちなみに私はマンガを読む習慣はほとんどなく、そしてkindleすら初挑戦だったので、
この「ポチ」が如何に清水ダイブだったかは、容易に想像していただけると思うw
さて、話を当時に戻すと、当然ながら釣り三昧の日々を送っていた少年Sにとっては、
いきなりバイブルが転がり込んできたようなものであり、すぐに三平ワールドに夢中になった。
中でもドキドキしたのは、やはり神秘的な自然環境下で繰り広げられた「探検」のような釣りであり、
「O池のタキタロウ」や「デカバルト」の回は、もはや語り草であろう。
しかし、昭和の釣りキチ少年に高い評価を得ている、この不朽の名作であるが、
子供ながらに当時、疑問に思っていたことがある。
いや、疑問というか、もう少し確信めいたものなのだが、
まあ一言で言うと、
「ちょっと人が死に過ぎ」
なのである。
どういうタイミングで人が死ぬか、というのも大体決まっていて、
肝心なところで事故などで亡くなってしまうのである。
何しろ、最後に読んだのが30年以上前で、記憶も大分薄くなってしまったが、
それでも覚えているストーリーとして、
確か、川で鮎の引っ掛け釣りか何かの上手い少年と三平が出会い、
明日、釣り方を教えてあげるからね!
と別れた当日か翌日、その子が交通事故に遭って死んでしまったのだった。
流石に子供心ながら、これはあからさまやろ〜っと、心の中で突っ込んだりもしていたが、
だからといって、釣りキチ三平の悪口を言うつもりは毛頭なく、
今読んでも絶対に色褪せていないであろう、素晴らしく緻密な描写で、
読者を引き付けて止まない漫画であった。
と、言いつつ、もうひとつ未だに半信半疑のストーリーがあるので触れおくとw
有明海の干潟のムツゴロウ、これを引っ掛ける漁の話があった。
重りにぐるっと針がついた単純な仕掛けを、ムツゴロウに向かってひょいと投げるわけであるが、
これがムツゴロウの死角を突かないと、簡単に逃げられてしまうというのである。
これは果たして本当なのだろうか?
まあ、ムツゴロウどころか九州に行く機会すら今後の人生であるかどうもわからないのだが、
誰かムツゴロウ漁の経験のある人に真実を教えてもらいたいものであるw
さて、ちょっと話が逸れてしまったが、肝心の最終巻である。
最終章・釣りキチ同盟
と銘打たれたそのストーリーは、一平爺ちゃんの葬式シーンから始まる。
最終巻のひとつ前、64巻からの続きなのか、そうでないのかはわからないが、
(読めばわかるw)
このストーリーは、何か以前調べたことがあって、既に知っていた。
更に言うと、中学時代に釣りキチ三平の最終巻まで読破したという友人がおり、
最終回のストーリーを聞いていたので、おおまかなあらすじは把握していたのだ。
その友人O君によると、
何だかよくわからないが、国会議事堂までデモ行進をして、自然を大切にしよう!
などと訴える謎の終わり方だった、、、というのである。
これまた30年以上前に聞いた話であるが、昔の記憶は昨日の記憶よりも鮮明だったりするので
困ったものである(爆)
さて、ここから先はいわゆる「ネタバレ」になるかもしれないので、
未読の方は、先にこちらを読んでいただくことをお勧めしておくw
釣りキチ三平(65) (週刊少年マガジンコミックス) Kindle版
・・・というわけで、ある程度のざっくりあらすじをわかった上で読み進めたわけであるが、
やはり、そこは矢口先生の不朽の名作、釣りキチ三平の最終巻である。
私の想像の遥か斜め上を行くクオリティのストーリーが、
実に150ページ以上にもわたって繰り広げられていた。
話は、冒頭の葬式のシーンに戻る。
この葬式「後」の空気感というのも、やはり誰しも経験したことのある、、、
といっても、これは天寿を全うしたご老人の葬式のケースであるが、
まあ、その空気感が実に見事に再現されている。
もうこれだけで、やっぱり釣りキチ三平はすごい漫画だったな、
と30年経った今感心するのである。
いや、これは逆にいうと、大人になった今だからこそ気付くことであり、
まだ誰の葬式にも出たことのなかった当時の私では何も思わなかっただろう。
さて、その葬式後であるが、ここで話が一気に動き出す。
あの魚紳さんが、釣りキチ三平長年の謎、三平の父親「三平平(みひら たいら)」の話を始めるのである。
つまり、三平平が、幼少期の親友の名前を名乗り、ヘラブナ釣り大会に出場しており、
横で釣っていた三平君が落水した際に助けてくれた人であったこと。
岐阜県で釣具屋を営み、商売もそこそこ軌道に乗っているらしきこと。
などである。
いやはや、驚きである。
これまで「三平平」は記憶喪失で、全国を彷徨い、
各地の釣り場で誰かしらの記憶に残ってはいたのだが、
ここまで健全に話が出来る状態であったとは、当時の私は全く想像していなかったからだ。
もっと、こう、釣りだけをしてほとんど口は聞かず、
いや、事故の後遺症で、口はほとんど聞けないものだと勝手に思い込んでいたのだ。
その謎の三平平氏が、今魚紳さんの目の前で元気に釣りをし、べらべらと話しているのである。
これだけでも30年の封印を破った甲斐があったというものだ。(←随分我慢したなw)
しかし、そのせっかく見つけた父親は、またまたブラジルへ放浪旅に出てしまった、、、
ということで、到頭三平君もぶちぎれてしまったw
まあ、これ以上話すとネタバレになるので、この下りはここまでとしておこう。
そして、話はいよいよ核心の「釣りキチ同盟」へと移行していく。
釣りキチ同盟結成・百万人大集会
の共同記者会見なのである。
・・・これは確かに「唐突」であった。
しかし、谷地坊主を初めとした釣りキチ三平歴代のライバルたちが、
一同に集結する、、、といった至上命題があったときに、
想定できるのは、三平君の冠婚葬祭くらいしか思い付かない。
そこを、である。
祈願日本一周釣り行脚
と刺繍されたベストを愛用していた魚紳さんの最終目標は、
実は「釣りキチ同盟」の発足であった、という
言ってみれば「ウルトラC」を繰り出してきたわけである。
あのベストの刺繍が、この最終章につながるのか!
、、、と、素直に驚く読者もいれば、
これは後付けのストーリーではないか?
と斜めに構える読者も居るだろう。
真実も調べればわかりそうな気もするが、そんな無粋なことは止めておこうw
この釣りキチ同盟の共同記者会見の中で、
三平君は、こう発言している。
釣り場は遠く、きたなく、せまく
魚は少なくなっている
おらの願いは、たったひとつ
もっと魚を釣りてぇ!
この願いを届けたのが、他でも無い国会議事堂であったのだが、
実は国会議事堂に届けたつもりが、実は
潮来釣具センターだったのではないか?
という疑問がふつふつと沸いてきた(爆)
というのもである。
「もっと魚を釣りたい」という願望を極端に叶えた最終形態
= 栃木県を初めとする北関東の管理釣り場だと思われるからだw
とすると、その推進者は日本管釣り協会会長を自認するジム村田氏であり、
聖地・潮来釣具センターの社長でもある。
・・・というわけで、何故か釣りキチ三平最終回を読んで、思わず王様を思い出してしまったという
個人的な備忘録はここまでとするw
最後に蛇足であるが、冒頭の釣りキチ三平 1〜43巻をくれた従兄弟のM。
くれた理由は、彼が既に釣りを辞めていたからなのだが、
その辞めた理由が、とんでもなく可哀想であった。
京都在住、阪神ファンであった少年Mは、阪神タイガースのボストンバックに釣り具一式を入れて
ちゃりんこで釣りに行っていたのだが、
ある日の釣行後、自転車のカゴにそのバッグを放置したまま遊んでいたところ
バッグ丸ごと、つまり全釣り具一式を盗まれてしまったのだ。
これは釣りキチ三平に出てきても違和感が無いほどの衝撃事件であるが、
確かに昭和の京都には、そういったことが起きても不思議では無い、
混沌とした雰囲気もあったように記憶している。
(今はどうか知りません)
(おしまい)
↓伝説のタキタロウ回・・・次はこれかな(買うか悩む(爆))
追記:結局買いましたが、この2巻はやっぱりめちゃめちゃ面白いです。たぶん1番好きw
釣りキチ三平(8) (週刊少年マガジンコミックス) Kindle版
釣りキチ三平(9) (週刊少年マガジンコミックス) Kindle版